14日(土) 「夜と霧」を読み終わった。
読み進むに連れて、かつて訪れたアウシュヴィッツの情景と、ガイドの説明が蘇ってくる。スーツケースが山積みにされた部屋、眼鏡が、靴が(ハイヒールも含まれていた)・・・。それぞれの部屋に山積みにされていた。 中でも女性の被収容者の毛髪で織られた毛布など、思わず目を背けてしまった。ナチスの兵士が使っていたと言う。 ギロチン、或は死者をトロッコに載せて運んだ焼却炉など・・・。言葉さえなかった。「ガス室」は少し離れたところから見ることが出来た。周囲は高圧電流の通った高い鉄条網に囲まれ、収容所は殺伐とした平野の中にあった。
ガイドのマリアさんの従兄弟もここで処刑されたとの事。「悲しいネ」とうつむいた彼女の姿が忘れられない。
「夜と霧」の中でニーチェの格言が目を引いた。
【 なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える 】
ことあるごとに「生きる目的」を意識しなければならない。
フランクルは、生きる目的を見出せず、生きる内実を失い、生きていてもなにもならないと考え、自分が存在することの意味をなくすとともに、頑張りぬく意味も見失った人は痛ましい限りだった。そのような人々はよりどころを一切失って、あっというまに崩れていった。
と言っている。
重たい言葉だ。
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