2013年1月31日木曜日

美術展の思い出

 27日(日) 新日曜美術館で、「いのちに触れた筆 日本画家 高山辰雄」が放映された。 ”平山郁夫”と共に私の大好きな画家だ。
 17,8年も前になるだろうか。八代の未来の森ミュージアムで、高山の画と始めて出合った。100号ほどの絵で 「抱く」 と題してあった。 展示室の置くの絵の前に足が止まった。 どれほどの時間佇んでいたのだろう。なんとも言えない宇宙のようなバックの中に、子どもを抱いた女性が溶け込むような感じで描かれている。私は期間中、3回ほど訪れ、その絵の前から離れることができなかった。 
 それから数年後、大分で「高山辰雄展」が開かれるのを知り、夕方の電車で急遽大分へ。途中、夕焼けに染まったピンクの阿蘇山に感動しながら、夜8時過ぎ大分駅に到着。駅前の小さなホテルに泊まった。
 翌日、早速「大分県立芸術会館」へ向った。 館内いっぱいにデッサンから、作品を年代順に展示してあった。
 私みたいな素人にはとっても見やすい展示法だと思った。先ず最初は初期の作品。私の中の「日本画」の概念に最も近い作品だが、「浴室」など、バックは具体的なものは何も無く,湯気が漂っている雰囲気に驚いた。
 中期の部屋に行くと、「これが日本画?」と目を疑うような作品が並んでいる。「何かに似ている」と思った。思い出した! ゴーギャンだ。ゴーギャンを髣髴とさせる鮮やかな色使い。こんな時代もあったのか!
 後期の部屋。ここには私の大好きな絵がズラリと並んでいた。「抱く」を始め、「食べる」、「街角」etc. 多くの時間をこの部屋で過ごした。
 「高山辰雄」の宇宙の中に漂い、満足感いっぱいで帰途についた。

2013年1月27日日曜日

TVドラマ

 昨日、TVドラマ「ゆりちか へ ままからの伝言」 を観た。 妊娠中に余命4年の癌の告知を受けた女性。 出産とがん治療の選択を迫られ、悩んだ挙句、其の両方を選択し、壮絶な戦いに挑んだ毎日。
 生まれた娘への愛に満ち溢れた伝言。”お友達をたくさんつくりましょう。お友達は多いほうが良い。” ”笑顔を忘れないように・・・” ”ぶつかりそうになったら、避けて通ることも必要” etc. 残された時間をギリギリまでつかって遺した伝言。
 「ゆりかちゃん」だけでなく、すべての人の心に響く言葉だと思う。 人生の終章を生きている私にとっては、時間を有意義に使うため、或はその生き様を考えるためのヒントになることと思われる。 一度手にとって読んでみたい。

2013年1月21日月曜日

出来事

 20日(日) 博物館解説ボランティアの勉強会。 曼陀羅の絵解きについて勉強した。 当麻寺の絵解きを聞いたことはあるが、自分が入館者のお手伝いをすることの難しさを痛感した。 特別展の開会までにはもう少し自分なりに調べて準備しなければならないだろう。

 21日(月) 午前中、萌の会の学習中に、突然Hさんが倒れられた。 直ぐ救急車を呼ぶ。 救急隊員の話では、脳梗塞で、右半身麻痺の模様。 労災病院へ搬送された。 暫く入院の必要があるとのこと。
 午後は、予定されていた新年会のため、全員Rホテルへ移動。 余興や福引などもあり、ご馳走を堪能して散会した。

2013年1月19日土曜日

対面朗読

 1月17日(木) 第三もくようびは 「かんねさこ荘」 の対面朗読の日だ。午後1時半、かんねさこに到着。 Sさん、Oさん、Iさんと4人で会場を準備した。 入所者の方がボツボツと集まって来られる。 Oさんの 「死ぬかと思った」と言う短編集に始まり、Sさんの 「犬の物語」 Iさんの 「彦一頓知話」、と続き、最後は私の番だ。萌の会を脱会することを決めている私にとっては最後の朗読になる。 最初に 「切腹した彦一」 次は創作童話 「おめき石」といって、天草の「今泉」と言うところに語り継がれているお話を読んだ。 皆さん興味深そうに聞いて頂けた。 終わりに 「皆さんもいろんな所に残っているお話があったら教えてくださいネ」 と言うと 「ハーイ」 と言う元気な声が返ってきた。 
 朗読会を終わって、車椅子を押してお部屋に向う途中、『又来てくださいネ』と声を掛けられ、「又きますヨ」 と答えたが これが最後だと思い、少し心が痛んだ。

2013年1月15日火曜日

「夜と霧」を読んで

14日(土) 「夜と霧」を読み終わった。 
 読み進むに連れて、かつて訪れたアウシュヴィッツの情景と、ガイドの説明が蘇ってくる。スーツケースが山積みにされた部屋、眼鏡が、靴が(ハイヒールも含まれていた)・・・。それぞれの部屋に山積みにされていた。 中でも女性の被収容者の毛髪で織られた毛布など、思わず目を背けてしまった。ナチスの兵士が使っていたと言う。 ギロチン、或は死者をトロッコに載せて運んだ焼却炉など・・・。言葉さえなかった。「ガス室」は少し離れたところから見ることが出来た。周囲は高圧電流の通った高い鉄条網に囲まれ、収容所は殺伐とした平野の中にあった。
 ガイドのマリアさんの従兄弟もここで処刑されたとの事。「悲しいネ」とうつむいた彼女の姿が忘れられない。
 「夜と霧」の中でニーチェの格言が目を引いた。
  【 なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える 】
ことあるごとに「生きる目的」を意識しなければならない。
 フランクルは、生きる目的を見出せず、生きる内実を失い、生きていてもなにもならないと考え、自分が存在することの意味をなくすとともに、頑張りぬく意味も見失った人は痛ましい限りだった。そのような人々はよりどころを一切失って、あっというまに崩れていった。
 と言っている。
重たい言葉だ。