2013年9月1日(日)
1978年1月、「日〇〇全国大会」 が沖縄で開催された。私はPTAの熊本県代表として参加した。大会終了後、八代市郡の参加者は1日だけ残って沖縄を見学することになった。
翌日、南部の戦跡を廻ることになり、「ひめゆり隊」 の壕や、住民が避難していた 「ガマ」 など、数ヶ所を廻った後、「摩文仁の丘」 へ・・・
そこには、各都道府県の慰霊碑が建てられ、戦没者の氏名が刻まれていた。まだ氏名を刻むスペースが沢山残されていて、これから刻まれる方々が多いことが推測された。
丘の最南端には 「健児の塔」 が有り、海を見下ろしている。その断崖を少し降りると、第32軍司令部の終焉の地となった横穴壕の前に出る。中に入って見ようと思ったが、「中の側壁には兵士の血や肉片がまだ残っている」というガイドさんの言葉に思わず身を引いてしまい、中に入ることは出来なかった。
今は、「平和祈念公園」 に「平和の礎」が出来て、当時とは比べものにならないほど多くの方々が刻名されているが、当時はまだ淋しいものだった。
私たちが宿泊した前夜も”ホテルの下の道路で少女が暴行を受け殺された”との話を聞き、ホテルの近くの ”嘉手納基地” には、夜になると地下道を通って弾薬その他が運び込まれているとのことだった。
私たちが行ったのは沖縄が返還されて間もない頃だった。集会の帰り途、通りがかりの家の子供たちが 「日本の先生、さようなら」 と言っていたのを聞き、凄いショックを受けたことは忘れられない。
ホテルの朝食の時も、米軍機の轟音のため、前の席の人の話が聞こえず
現地の方の苦しみがホンの少しだがわかるような気がした。
0 件のコメント:
コメントを投稿