2013年8月9日金曜日

原爆投下の日

8月9日は長崎に原爆が投下された日だ。当時、私は7月1日の熊本空襲で焼け出され、上熊本駅近くの 「池田町長迫」 と言う、高台に挟まれた谷間の様なところのバラックのような家に住んでいた。
 当日は何時ものように女学校に登校していた。当時、4年生と5年生は軍需工場に動員されていた。残された私たち3年生以下は、学校護衛隊として登校し、学校が焼夷弾などで火災になったとき、消火活動などをする事になっていた。
 その日も、「空襲警報」 が出され、防空壕に入っていた。ところが先生から
「今日は危ないから全員下校するように」 と言われ帰路についた。
 ところが、京町を過ぎ、池田町の3号線を横切ってかも熊本駅の方へ坂を下りていると、近くの家のラジオから 「長崎地方 全員退避! 長崎地方 全員退避!」 と言う ”悲鳴” のようなアナウンスが聞こえてきた。
 急いで坂を駆け下り、坂の下でNさんと別れ、谷の方へ走った。 と、突然山の陰から米軍機が現れ、私をめがけて機銃掃射を始めた。 3機編隊だった。 私は防空頭巾を被る暇もなく、頭巾をお腹に抱いたままその場に伏せた。 暫く伏せて、通り過ぎたと思い頭を上げると、次の3機がまた襲いかかって来る。 やっと通り過ぎたので一番近い横穴壕に走りこんだ。
 ところがその壕は、韓国人の人たちの壕で、言葉が全く通じない。不安に怯えながら1時間くらい過ぎただろうか。 やっと外が静になったので自宅に帰った。私が伏せていた所は草原で、身を隠せるものは何も無かったので家族は、私が頭を上げたり伏せたりする度に 「あ!やられた! あ! やられた!」 と言っていたそうだ。 私が伏せていた場所からは、薬莢が80個ほど出てきた。
 私を襲ったのは,忘れもしない 「ロッキードP32 双胴機」 だ。頭を上げた時、米兵の顔がはっきり見えた。それほど低いところまで急降下してきたのだ。米兵は笑っているように見えた。
 その頃、長崎では原爆が投下されていたのだ。

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